標高3776メートルを誇る日本最高峰の富士山。
およそ2900年前の富士山はツインピークであったことが最新の研究でわかりました。
活火山である富士山は、人類の歴史よりもはるかに長い数十万年という時間をかけて、
現在の美しい山体となったのです。
日本のシンボル。そして国境を越えて愛されるこの魅力的な姿は、
意外かもしれませんが、成長を続ける富士山の一時の顔でしかないのです。
10万年前
今から約10万年前、現在の富士山の土台となる小富士火山が激しい噴火活動を開始。大規模な噴火を繰り返し、少しずつ裾野を広げて富士山は成長しました。そして愛鷹山の北半分と小御岳の大部分を埋め、標高2500メートルを超える大きな火山へと成長しました。
この時期、富士山は山腹からも多くの溶岩を噴出。大量の溶岩を流す噴火が繰り返されました。活火山である富士山はこうした噴火を繰り返し、噴出物が堆積しながら少しずつ裾野を広げることによって、美しい円錐形の山体を形作り保ってきました。
1万年前
およそ1万数千年前には、山頂の火口が西側に移動し、現在の富士山の頂上となるもう一つの峰を形作り始めました。激しい噴火で急速に標高を増した富士山は、東西に二つの高まりを持つツインピークとなりました。縄文人が見た富士山には二つの頂がありました。
2900年前
今からおよそ2900年前、東側の古富士山が崩壊。富士山に深い谷間が刻まれました。崩れ落ちた大量の土砂は東側の山麓を埋め尽くし、雨が降るたび土石流が発生して、相模湾や駿河湾にまで流れ込みました。この山体崩壊は御殿場岩屑なだれと呼ばれています。
2200年前
御殿場岩屑なだれの後も西側の峰は噴火を続け、この溝を新しい噴出物で少しずつ埋め尽くしたことで、なだらかな山体になりました。現在の富士山の山頂から見られる表面の赤い地層は、およそ2200年前に起きた最後の大規模な山頂噴火によって積もったものです。
1150年前
平安時代、西暦864年に富士山北西の斜面から大きな噴火が起こりました。大量の溶岩を流した貞観の噴火です。現在の精進湖と西湖は、剗の海が溶岩流によって分断されつくられました。溶岩流の上に育った森林は、青木ヶ原の樹海と呼ばれる広大な森となりました。
300年前
江戸時代、西暦1707年12月16日午前10時ごろ、爆音とともに富士山南東の斜面で煙の柱が立ち上りました。富士山の最も新しい噴火、宝永の噴火です。その噴煙は、富士山の高さをはるかに超える、およそ2万メートルにまで達したと考えられています。
現在
宝永の噴火は南東斜面の大きな噴火口、そして古い地層を持ち上げてつくられた宝永山など、富士山の地形に大きな変貌をもたらしました。それから300年あまり、富士山は静かに佇んでいます。しかし、富士山は火山活動をやめてしまったわけではありません。現在も多くの機関によって観測と研究が続けられるなど、世界遺産となった美しい富士山を後世に残していくための様々な努力が、各所で盛んに行われています。
資料ご協力富士山樹空の森
「樹空の森」は富士山の歴史とその恵みを、遊びながら学べるテーマパーク。広場からは四季を彩る花々越しに富士山の絶景。富士山が好きならばぜひ「天空シアター」へ。最新鋭の技術を駆使した立体シアターと大型スクリーンの映像は、実写やCGを使って分かりやすくて壮観で大迫力!富士山がますます好きになってしまうことでしょう。
日本最大級の富士山麓模型を立体スクリーンとし、雲の流れや春夏秋冬の情景、ご来光差し込む山麓の姿など、刻々と変化する自然の表情をCG映像でリアルに再現する展示が見所です。直径6mの富士山麓模型の立体スクリーンに映し出される「富士山の四季」、270インチの大型映像による景観シアターなど、独創的な空間構成で皆さまを雲の上の世界へと誘います。
ローラースライダーや、ぴょんぴょんランドなど、家族で楽しめる遊具が充実した「冒険の丘」や、ヘリコプターの展示広場など、園内には冒険スポットがいっぱい。
一見ゴルフに似ていますが、子供からお年寄りまで世代を超えて、誰もが気軽に楽しむことができるスポーツとして親しまれています。
御胎内温泉は、富士山のふもとより湧き出る源泉の湯。雄大な大自然と富士山を見ながらの露天風呂は、心も身体も癒してくれます。
地元食材を使用したお料理を、開放感あふれるガラス張りの店内や、テラス席で味わうことができます。